独りで踊れ大捜査線!

レインボーブリッジを封鎖しろ?〜

 

踊る大捜査線とは、1997年1月7日から1997年3月18日にかけてCX系列で放映されたドラマです。
その後スペシャル版3本が放映、映画2本が上映されました。

あの有名なドラマですよ、青島刑事やら和久さんやら… 私もあのドラマのファンだったので
東京に出かけたついでに独りで大捜査線をやってきました(何

湾岸署の管轄は、臨海副都心を中心に、晴海埠頭、豊海水産埠頭、さらに東京港を挟んで竹芝桟橋、日の出桟橋、大井埠頭の先の大田市場周辺までと、かなりムチャな広さなのですが、東は新木場駅前から日曹橋までの明治通り、北は永代通りで、管轄の境界線となっています。

これが湾岸署です!普段は内田洋行という会社のビルです。

 

ちなみに外観と正面入り口、ロビーから階段を登った2F入り口附近で撮影です、

刑事課の場面は違う場所。

湾岸署

湾岸署 その2

 

この写真を撮りに行った時、ちょうどお昼休みだったらしく

ビルから出てくる大勢の人たちから白い目で見られました。

ビクビクしながらも写真を撮りました。

 

みなさんも写真を撮る時間帯は考えましょう(何

湾岸署 その3

 

ビルの前の通りの道です、TV番の第一話では青島刑事がここから走って

現場に向かっていったシーンを覚えています。

そこで、なんとなく走りたくなった私は全力疾走!

ふと何か我に返り振り返ってみると・・・

 

 

視線が痛かった。 

写真を撮った後にいきなり走り出すのには注意が必要です。

青島刑事の走った道
 

はい、舞台は一転して

ちょっとレインボーブリッジでも封鎖しようかなと

ユリカモメに乗りました。

写真は国際展示場の駅です。なんていうか人がいません。

 

お台場のシンボルともいえるフジテレビです。

ちょうここの頃は「お台場冒険王」ですごい人出…

冒険王で遊んでいってもいいかなーと思ったんですが、ひとごみが苦手な私は

おとなしくレインボーブリッジの封鎖に行くことにしました。

お台場♪
 

レインボーブリッジ
 東京港の新しいシンボルとして、また開発が進む臨海副都心を結ぶ架け橋として、平成5年8月にオープンしました。このレインボーブリッジ遊歩道からは、青い海に浮かぶ客船や臨海副都心の夜景まで、あなたが見たことのない東京を眺めることができます。
 レインボーブリッジは二重構造の複合交通施設のつり橋で、下層は遊歩道、臨海道路、新交通ゆりかもめの軌道が走り、上層は首都高速11号台場線が通っています。

↑いつものごとく勝手に引用。

レインボーブリッジ(封鎖前)
 

物凄く曇ってます、写真の映りが最悪です。

宿を出発した時は澄み渡る青空だったのに、すごく残念です。

このあとレインボーブリッジを封鎖するために橋に向かって歩いていきます。

ちなみにレインボーブリッジは歩いて渡るのはタダです。

 

レインボーブリッジ その2
 

平成10年4月29日から平成11年5月9日まで、「自由の女神」像がお台場海浜公園に設置されていた。これは「日本におけるフランス年」事業(共催事業)の一環として設置したものである。
 この「自由の女神」像は非常に好評で、臨海副都心地区の賑わい創設に多いに役立った。このため、地元の「臨海副都心まちづくり協議会」は女神像の返却後も、レプリカを設置することを強く希望していた。
 この結果、フランスから「自由の女神像レプリカ」の作成が認められた。「臨海副都心まちづくり協議会」は「二つの自由の像設置委員会」を組織し、「自由の女神像レプリカ」を製作して東京都に寄付し、東京都はお台場海浜公園の女神像があった台座にレプリカを設置することとしました。現在、像の据え付けを終了しており、今後、照明や周辺の整備を実施し、公開します。


 なお、東京2000年祭事業のひとつでもあります

 

↑無断引用。

絶対に自由とか平和とか関係ない自由の女神
 
 

本当ならば最初の目的「独りで踊れ大捜査線」の企画通りに

レインボーブリッジに行って、封鎖しちゃうはずでしたが

思わぬ伏兵に私の計画は邪魔されてしまいます。

そう、その名は・・・

 

 

 

「水上バス」 浅草行き 

 

やってくれます、私の進路上にあのような

魅力的な看板を置くなんて・・・

写真は諸事情により取れませんでした(決して間違って消したわけではございません)

 

そこで・・・・私は・・・

 

ぶらり独り旅 浅草、雷門を訪ねて…

    〜浅草に関係の深いこち亀の両さんも警察官だから警察つながりな旅〜

と言う企画に変更。

私が乗った水上バス、浅草まで1040円です。

っていうかね、物凄く人が多かったんですよ

大阪のデパートに群がるおばちゃん達のごとく真剣なまなざしの軍勢がいるんですよ

水上バスってそんなに人気があるのかなぁ…

なんて考えて待っていると・・・

 

反対側の方の船着場に「ゴーイングメリー号」が・・・

ナニコレと見ていると、みなさんそちらの船に・・・

で、船に乗り込んでみるとコレ・・・

別に私の貸切ではありません。

 

この船で一番注目すべき点は、

乗員の方がなぜか「東京ラブストーリー」らへんの時代の格好をしています。

ちょっと昔の気分が味わえます(何

途中で乗り換えも含め一時間ちょっとくらいの船旅でした。

隅田川が臭いのさえなければ最高な船旅だったと思います。

写真をたくさん撮ったのに曇りだったのであまり綺麗に映らなかったのが残念

精進しなければ・・・

   

浅草のシンボルといえばこの「雷門」。942年に天下泰平と五穀豊穣の祈りをこめて造られました。風神と雷神が安置されているところから「風雷神門」と呼ばれていましたが、それがいつのまにか「雷門」といわれるようになりました。現在の雷門は昭和35年に再建されたものです。

*無断引用

雷門
提灯の↓の部分には松下電器って書いてあります。

お土産やさんとかが沢山

微妙に捻じ曲がった日本文化な外人が沢山・・・

仲身通りでは色々な和菓子やさんがあります

有名な「人形焼」「揚げ饅頭」「芋羊羹」「黍団子」「雷起こし」・・・ほかにも沢山

私は一人で人形焼20個食べました。揚げ饅頭は揚げたてが最高です

ちょっと太るかも知れない通りです。

仲見世通り
↓こんなん売ってました。
 大黒天をお祀りしているのは浅草寺です。
 推古天皇36(628)年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりです。
 大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立、また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。
 現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判りました。
 平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、その後一層信者の層も厚くなりました。以来、慈覚大師を中興開山と呼んでおります。
 鎌倉期以降になると将軍自ら帰依するに及び、名将たちの篤い信仰を集めていよいよ観音霊場として知られるようになりました。
 江戸時代、天海僧正(上野東叡山寛永寺の開創)の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ、いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになったのです。

今日、東京(江戸)の発展は江戸城構築からの徳川幕府にはじまると思われがちですが、こうして浅草というところは古くから宗教的にも文化的にも江戸の拠点であった訳です。江戸が東京にかわったときでも、文明開化の先駆的な役割を果たし、庶民の信仰と文化の一大中心地として機能してきたことも当然といえるのです。

注:(・∀・)b”

浅草寺
 

せっかく有名なお寺に来たのでおみくじを引きました。

一回100円、なかなかリーズナブルです。

旅行:悪いでしょう。

 

すごく旅行中です _| ̄|○

 

まぁ、こんな感じの気楽な一日でした。

ここのおみくじ結構当たってるっぽいんですよ

まぁ、その話はまたこんど・・・

top